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よりみち紀行~嵯峨路をゆく その5

こんばんは~☆
はっと気が付けばすぐに3,4日経ってしまってる今日この頃。
せっかく足繁く通ってくださっている皆さまには、無沙汰の体たらくに言い訳のしようもなく
大変申し訳ございません<(_ _)>

まずは延々続いておりますよりみち紀行嵯峨路レポを完結させていただこうと思います(^^)

さて、京都の竹林といえば嵐山のそれが有名ですが(よくガイドブックなどにも載ってますネ☆)
実は嵯峨一帯はごくごく普通の住宅街の一画に馴染んでいたりします。
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あまりに馴染みすぎてそこが竹林であることにも気が付かないほど(笑)
この日は周囲がとても静かで風が吹くたびに竹の葉の擦れ合う音で、やっと存在に気付きました。
人ひとり出会うことなく住宅街を抜け、のどかな田圃道をしばらく行くと、まるで『まんが日本昔ばなし』
出てきそうな庵が見えてまいります。
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落柿舎(らくししゃ)は、向井去来の別荘として使用されていた草庵です。向井去来は元禄時代の俳人で
師である松尾芭蕉より「洛陽に去来ありて鎮西に俳諧奉行なり」と称えられたほどの高弟でした。
去来が落柿舎を営んだのは1687年以前とされ、1691年の4月から1ヶ月間は松尾芭蕉も滞在し
『嵯峨日記』を著したのだとか。現在の建物は1770年に俳人井上重厚によって再建されたものです。

玄関に掛けられている蓑と笠にご注目!
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これは庵主の在庵あるいは不在を示すもので、ここに蓑笠がかけてあったら在庵、なければ外出中
という印なんです。現在はもちろん庵主である去来はすでにこの世を去って久しいわけですが
落柿舎のシンボルとして常に『在庵』となっているんですね~(*^^*)

こんもりとした茅葺の屋根が印象的ですが、こちらは昨年およそ10ヶ月の工期を経て修復工事がなされました。
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去来が書いた『落柿舎記』によると、
 庭に柿の木が40本あり、都からきた商人が銭一貫文を出して、柿の実を買う約束をして帰ります。
 その夜、去来が寝ていると「ころころと屋根はしる音、ひしひしと庭につぶるる声、よすがら落ちもやまず」
 つまり一晩で柿の実がほとんど落ち尽してしまったのです。慌てて駆け付けた商人は
 『私は小さい時から白髪の生えたこの年になるまで柿の実を商売に扱ってきたが、これほど実が落ちる
  柿の木を見たことはない。申し訳ないが昨日支払ったお金を返してはくれまいか』
 と詫びて頼んだので、去来は柿の代金を全て返してやりました。

以来、この庵を『落柿舎』と呼ぶようになったのだそうです。
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しっとりとした佇まいとどこか懐かしい素朴なしつらえを眺めていると、心がほっこりと落ち着いて
なんとも穏やかな気持ちになれます(*´∇`*)
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リアルな生活感があって、今にも奥から去来や芭蕉がひょっこりと顔を出しそうwww

庭のあちこちには句碑が建てられています。こちらは師である松尾芭蕉が『嵯峨日記』の最尾に記した句。
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『五月雨や 色紙へぎたる 壁の跡』

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野山にあるような野趣と丹精込めて調えられた繊細さが同居している庭は、どこを切り撮っても絵になるので
素人カメラにはとてもありがたいです(笑) 
庭内には『投句箱』が設けられており、全国から投げ入れられた多くの俳句の中から、10月に執り行われる
去来祭の祭式にて『落柿舎投句大賞』が選ばれるのだとか。

我こそはと思われる諸兄はぜひチャレンジなさってみてはいかがでしょうか☆

奥庭で見つけた藤棚に伸びる藤の木が面白いように捻じれていました。
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 『とぐろ巻き 天まで伸びる 藤木かな』・・・・・・・・・・・お粗末(笑)

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草鞋の緒を締め・・・いえスニーカーの紐を結び直して、もうちょっとだけ足を延ばしてみました。

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いよいよ嵐山にたどり着きました!さすがに渡月橋の上は観光客のみなさまがたくさん行き来されています。
2013年の初秋、台風18号の猛威によって近年にない大浸水に見舞われ甚大な被害となった嵐山ですが
その後、着々と復興が進み、一時期は完全に水没してしまっていた中之島公園もすっかり元の景色を
取り戻していました(写真左)
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対岸上流ではまだ護岸工事が続いているようです(写真右)
しっかりと水害対策を行ったうえで、またあの美しく情緒ある岸辺の散策を楽しめる日が来るといいですね(^^)

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そろそろ日も傾いて冷たい風が吹き始めました。工事をじっと見守る??シラサギもなんだか寒そう。

それでは家路につくとしましょうか。
パン屋さんからちょっと寄り道のつもりが気が付けばおよそ7キロ以上の道程を散策しておりました(^^;
なんだかだんだん放浪癖がついてきたような気がする・・・『裸の大将』になる日もそう遠くないかも?!
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長々続きました『よりみち紀行~嵯峨路を行く』もこれにて無事完結でございます<(_ _)>

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今後についてのお知らせ。。。

長らくご愛顧いただいております拙ブログにつきまして、日日の更新が大変困難な状況が続き
予告なく放置状態に陥ることも少なからずあり、ご来宅の皆さまには大変失礼をいたしております。
このような状況のまま無為に継続することは、せっかくいらしてくださる方にとうてい申し訳がございません。
またわたくし自身とても心苦しく負担に感じてしまうことから、何らかの手立てを講じるべきと判断いたしました。

ただひとつわがままを言わせていただけるのなら、やはりこのブログはわたくしにとって本当に
大切な場所であり、皆さまから繋いでいただいたご縁は如何ようにも断ち難いものでございます。

熟考の上、ひとまずは今後の更新を基本週一回に縮小することにいたしました。
曜日を決め固めてしまうとまたこれも重荷になってしまいそうで、とりあえずは不定期更新となりますが
毎記事の最後に次回更新予定日を書き込みますので、ご来宅の目安としていただければ幸いです。

身勝手ではなはだ恐縮ではございますが、どうぞご理解いただき今後とも末永くご愛顧賜りますことを
切に願っております。<(_ _)>

                                              あすも

次回更新予定日は2月27日(金)です。
およそ5年ぶりとなる家族3人揃っての温泉旅行レポをお送りできればと思います(*^^*)

追伸:日々の徒然などにつきましてはインスタグラムにも随時アップしています。
    ユーザー名 asumo1120 でエントリー中です。

 
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よりみち紀行~嵯峨路をゆく その4

こんばんは☆ 昨日はバレンタインデーでしたね💛
みなさま、大切な方々とハートを交わされましたでしょうか(*^^*)
我が家では今年は娘がずいぶんと奮発してくれましてボス夫さんのみならず
わたくしにも孝行チョコをくれたんです(≧▽≦)
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ゴンチャロフのアソート☆☆☆ベーシックな美味しさはさすがです(*^^*)
わざわざ大阪まで出かけて買ってきてくれたみたいで、すごく嬉しかったんですけど
娘が手渡してくれながら

 『お返しは現金でも全然いいよ~♪』

と(笑) いや~~~ん、ホワイトデーがプレッシャーだわ(^^;;;;

ちなみにボス夫さんへのチョコは撮影する間もなく、あっという間に食べられちゃいました(爆)
唯一撮影できたのが、チョコに添えられていたウォッカのミニボトル
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甘いチョコにも合うとても飲みやすいお酒だそうです💛

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さて、よりみち紀行も4頁めとなりました。今回は釈迦堂から徒歩で10分ほどの所にある
二尊院へとまいります。
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天台宗寺院である二尊院、正式には小倉山二尊教院華台寺は、平安時代の初めごろに
嵯峨天皇の勅を受けた慈覚大師により建立されました。一時衰退していましたが鎌倉時代に再興、
応仁の乱で焼失ののちに三条西実隆によって再建されています。

写真は総門。二尊院の顔ともいうべき古色豊かなこの御門は伏見城の薬医門を移築したものだとか。

『紅葉の馬場』と呼ばれている、総門からまっすぐに続く参道は紅葉の名所としてあまりにも有名!
京都を紹介する記事や番組でもよく取り上げられるほど、紅葉の素晴らしい景色が楽しめるのですが・・・
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ま、真冬はこんな感じです(^^; ちなみに両側からトンネルを作っている木々はすべてもみじ!
どうぞみなさま脳内で真っ赤に変換しながらご覧くださいませ(笑)

紅葉の馬場を抜けいよいよ境内へ。最初にくぐるのは勅使門(唐門)です。
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『小倉山』と書かれた扁額は後柏原天皇のご宸筆。蟇又には左巴紋が彫られていました。

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本堂は現在一部修復中で中を拝見することは残念ながら叶いませんでしたが
簡素な中にもしっとりとした落ち着きある佇まいのお堂です。
勅使門とともに応仁の乱で焼失したものを1521年に三条西実隆が再建しました。
内部にはご本尊として釈迦如来立像阿弥陀如来立像が並び立っていて
この2神体が『二尊院』の謂れとなっています。

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本堂の隣に建てられているのが九頭竜弁財天堂。ちょうど御坊がお勤め中でした。
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しだれ桜の蕾も読経を耳にして少しほころんできたようにも思えますね(*^^*)

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九頭竜弁天堂の前にあるのが扇塚(写真左上)。日本舞踊の山内流始祖・二代、吉村流開祖・二代・三代を
永代供養されているそうです。ちなみにこの扇塚を建立した吉村流四世家元の吉村雄輝氏は
タレントのピーター(池畑慎之介)さんの御実父なんだとか(@0@)

二尊院は大堰川や高瀬川の開削を行い『水運の父』と呼ばれた角倉了以・素庵父子のお墓があることでも有名。
境内にも了以像があります(写真右上)。

小倉餡発祥地の石碑を発見!(写真左下) 日本で初めて小豆と砂糖を使って餡が炊かれたのが
ここ、小倉の地であったそうです。菓子職人『和三郎』によって小豆の栽培と小倉餡の製造が広まり
江戸時代には茶道菓子に用いられるほかハレの日(特別な日)の祝い膳にも加えられるようになりました。

古色豊かな境内に突如現れた前衛的なモダンアート!!作品名『真(しん)』(写真右下)
こちらは平安遷都千二百年祭のプレイベントとして開かれた野外彫刻展の入選作だそうです。
製作者は二紀会会員の橋本清氏。優美な弧を描く円形は時間の流れを現し、ねじれているのは
この世に完全無欠なものはないという事を象徴しているのだとか。

この二尊院には法然上人の御廟があるとのことなので、境内から山手に向かう石段を登りました。
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これが手すさびならぬ足すさびに登るにはなかなか辛い距離でして(^^;;
急勾配の石段を息を切らしながら進んでいくと、吐く息は白いのに背中には汗が滲むほど。
それにしても中学時代の愛宕登山で見るのも嫌だった石段・・・史跡を見るためだったら登れるもんなのね(笑)
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御廟そのものは古びが渋さを感じさせますが、まあ普通でした(笑)←当たり前ww

他にも見どころがいろいろ♪
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鐘楼(写真左上)は別名幸せの鐘といい、元々は1604年に鋳造された梵鐘が平成4年に再造されたものです。
世界平和を祈願し、誰でも自由に撞くことができます(^^)

非常に古びたお社ですが八社ノ宮(写真右)は室町時代に建てられたものだとか。市の有形文化財指定。

あまりお墓を撮影するのは良くないんですが・・・
俳優の坂東妻三郎田村高廣両氏が眠っておられる累代墓(写真左下)。とても好きな俳優さんだったので
手を合わせてから正面を避けてカメラに収めさせていただきました(-人-)

寺内をぐるり回って境内に戻ってくると、甘酒と節分の豆をいただきました(写真右下)
冷えて疲れた身体に温かさと甘みがじんと沁みて、そのお心遣いとともにとても嬉しかったです(≧▽≦)

紅葉の季節には大変な人出で賑わう二尊院も、冬の拝観では古刹らしい深閑とした表情を感じられます。
今度はちゃんとスニーカーを着用して、山上にある時雨亭跡(百人一首ゆかりの藤原定家た営んだとされる)
ぜひ見に行ってみたいと思います!足腰ももうちょっと鍛えとかなきゃ(笑)

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次回、なおも嵯峨路を歩いて落柿舎(らくししゃ)へと参ります(^^)

よりみち紀行~嵯峨路をゆく その3&きょうの晩ごはん

こんばんは☆
のんびりマイペースにもほどがあるって感じで続いておりますよりみち紀行。
第3回の今日は、思い出の寺(笑)清凉寺=嵯峨釈迦堂の塔頭を見て回りたいと思います♪
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まずは境内の東側、駐車場からすぐの所にあるのが一切経蔵です。
江戸時代中期に建立されたといわれるこちらの建物には『輪蔵』と呼ばれる法輪が置かれています。
これは唐紙製の明板本5408巻に収められている一切経・法典が、いわば回転式の書架状の法輪に
収納されていて、これを一度ぐるりと回すと経典を全て読んだのと同じ功徳がいただけるのだそうです。
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試してみたかったんですけどこれが有料(笑)
駐車場代が思ったよりも高かったので、今回は外から拝ませていただきました(^人^;;
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堂の正面には輪蔵の起源とされる中国南朝梁の傅大士(ふだいし)父子像が安置されています。

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一切経蔵のすぐ横に弥勒多宝石仏が安置されています(左下)素朴ななかにも敬虔さが感じられますね。
鎌倉時代前期、空也上人の手によって彫られたとも伝えられています。
木立の中にひっそりとたたずむお堂は愛宕権現社(右下)。祠殿は江戸時代に建立されたものだとか。

通例の場合、阿弥陀堂に置かれるご本尊は東を向いてらっしゃるのですが、ここ清凉寺の阿弥陀さまは
西を向いて安置されていらっしゃいます。
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まだ蕾固い梅の木に飾られたとても女性的な阿弥陀堂です。

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西向きの阿弥陀像は『源融のうつし顔』といわれています。
嵯峨天皇の皇子であった左大臣源融はここ清凉寺の前身にあたる棲霞観(ぜいかかん)を山荘として建立、
写経や造仏に着手したものの志半ばにして他界されました。その後、融の子供たちの手によって
棲霞寺として完成を迎え、のちにその一郭に発足した釈迦堂が現在の清凉寺となったそうです。

源融といえば『源氏物語』の主人公光源氏のモデルともいわれていることで有名です。
阿弥陀さまも、物語の中の『光る君』の名にたがわぬ清廉でたおやかなご尊顔でいらっしゃいました(*^^*)

木鼻は大胆かつ緻細な彫りが印象的な獏。やや欠けも見られますが目に力のある良いお顔をされています。

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周囲は庭が美しく調えられていて、まっすぐに伸びる石畳を進むと霊宝館や庫裏へと繋がっています。
しんとした庭園をのんびり散策しておりますと、植え込みの陰になにやら小さく動くものが・・・

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円らな瞳が可愛らしい野鳥のようです。まるでカンガルーのようにぴょんぴょん跳ねるのが面白~いww
よくよく観察していると、どうやらお食事中のようなのですが
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んん?何を食べてるの??
まるでプラスチックのような真っ青な玉ですがこれって食べても大丈夫なのかしらん(^^;
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インスタグラムにアップしてみたところ、この鳥はシロハラ、鮮やかな青い実はジャノヒゲというのだそうです。
雀と鳩以外の野鳥を近くで見たのって初めてな気がするwwwちょっと得した気分になる出逢いでした💛

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続いては多宝塔を拝見いたしましょう。
下層3間本瓦葺、尾垂木を竜頭とする江戸風の建物であるこちらは、1700年に江戸護国寺において
釈迦如来像出開帳の際の寄進を受けて江戸で造られたものだそうです。廻船で部材を運び、清凉寺境内に
再建されたのだとか。

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豊臣秀頼の首塚(左上):豊臣秀吉の三男であった秀頼は関ヶ原の戦い、大阪冬の陣、夏の陣を経て
大阪城落城の際に母であった淀君とともに自害しました。享年わずか23歳(満21才)のことだったといいます。
昭和55年、大坂城三ノ丸跡の発掘調査で人為的に埋葬された20代男性の頭蓋骨が発見され、
介錯とみられる傷や、左耳に障害があった可能性が確認されたことから秀頼の骨ではないかとして
所縁深い清凉寺に埋葬されました。

狂言堂(右上):毎年4月10日に嵯峨大念仏狂言が行われます。京都の三大念仏狂言のひとつで
重要無形文化財にも指定されている嵯峨大念仏狂言は、24の演目から成り『釈迦如来』という独自の演目も。
世阿弥の謡曲『百萬』に、この嵯峨大念仏が描かれています。

鐘楼(左下):鐘楼は江戸時代の創建、梵鐘はさらに遡ること南北朝時代に鋳造されたものだそうです。
寄進者である足利義政や日野富子など700人以上の銘があるのだとか。

薬師堂(右下):平安時代に嵯峨天皇勅命により空海が建立したと伝えられています。
元は龍幡山薬師寺というお寺で当初は真言宗、のちに浄土宗へと改宗しました。
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日月門なる扁額がかかった玄関をくぐると、モダンな印象の前庭が設えられています。
こちらのお庭には三地蔵がお祀りされていました。
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薬師堂は小野篁の『生の六道』でもあるといいます。
平安時代前期の公卿で参議であった小野篁には数々の伝説が残されており、その中でも有名なのが
夜ごと井戸を通って地獄に降り閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたというもの。その際に、地獄へと向かう
『死の六道』が東山にある六道珍皇寺、地獄から現世へと戻る時に使われた『生の六道』とされたのが
嵯峨の福生寺でしたが明治時代に廃寺となったことから清凉寺の阿弥陀堂に合併されたのだそうです。
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いやあ~それにしてもこんなに見どころいっぱいの素晴らしいお寺だったとは!
今までずっと誤解してたよゴメン嵯峨釈迦堂(*^人^*)
無事に中学時代のトラウマ(?)も克服いたしましたところで、今晩はお開きとさせていただきます。
よりみち紀行、まだまだ続きますよ~(マジでか!)
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 (嵯峨路:のどかな田圃道を人力車が行き交う)


↓きょうの晩ごはん☆

よりみち紀行~嵯峨路をゆく その2

先ほどは愚痴めいた記事で失礼いたしました<(_ _)>
本日二投目は、よりみち紀行の続きをお送りいたします☆

さて、広沢池を後にして田圃の間をゆるやかに伸びている一本道を西へ西へと向かいますと
旧嵯峨御所大本山大覚寺門跡が見えてまいります。
平安時代初期、嵯峨天皇が檀林皇后とのご成婚の際に新室として嵯峨の地に離宮を建てられたのが
始まりといわれています。876年に皇孫の恒寂入道親王を開山として真言宗大覚寺派の本山となりました。
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1200年有余の歴史をもち、代々の天皇皇統が門跡を務めた格式高い門跡であり、
いけばな発祥の地として『いけばな嵯峨御流』の総司所(家元のこと)でもあり、時代劇をはじめとする
さまざまなドラマや映画のロケ地としても有名な見どころ満載!!

その魅力を余すところなくカメラに収めるには甚だ時間も準備も足りません。残念ながら今回は
するっと素通りさせていただきまして、次の機会にぜひじーーーーっくりと拝観させていただきましょうww
皆さまには過去に撮影した画像をご覧いただいております(*^^*)
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さて、大覚寺の前を過ぎてなおも西へと進みますと、どん詰まりにあるのが清凉寺でございます。
地元では清凉寺というよりも嵯峨釈迦堂の名の方が通りのいいこちらのお寺、じつはわたくしにとっては
あまり良い印象がなかったんです(^^; その理由は裏あすもさんに語っていただきましょうww

通っていた中学校で毎冬に『愛宕登山競争』っつう行事がありまして。
ま、早い話が標高924mの愛宕山に走って登る、という運動音痴泣かせのイベントなんですけど
この集合場所が清凉寺すなわち嵯峨釈迦堂やったんですね。市街地に背中を向けた西のどん詰まりなんで
朝8時集合とか言われても間に合うバスとかないんですよ。しゃーないから早朝の寒空の下30分かけて徒歩!
こっちゃぁただでさえ少ない体力、ちょっとでも温存したいっちゅうねん!!

この時点ですでに嵯峨釈迦堂に対する印象がかなり悪うなってるわけなんですけど、それに輪をかけるのが
愛宕登山競争のスタート地点が登山口ではなく、およそ3キロ離れたここ釈迦堂っていう事実。
だーかーらーこっちゃぁただでさえ少ない体力を・・・・・以下同文。

だらだらと上り坂が続く3キロの道を進み、途中『心臓破りの坂』なる悪所を過ぎ、やっとのことで登山口。
そこから石段と山道をひたすら登ること約4キロ。頂上にある愛宕神社でめでたくゴールの行程は
中学生女子の平均所要時間90分やそうですが、体力も持久力も根性もやる気も持ち合わせてないんで
毎年3時間くらいかけて登ってたけどな(笑)

途中あちこちにジャージ姿の先生が立ってはって『走れ走れ!しんどかったら歩いてもええから止まんな!』
とかなんとか叱咤激励してくれはるんですけど、はっきり言うてええ迷惑。
もう頼むからほっといて、っていうかもう帰らして~って感じでそれはそれはしんどいもんでした。

運動部の面々なんかはムダに盛り上がりはるんですよおもに顧問が。
たとえばバレー部とかテニス部とかバスケ部なんかで毎年告示されるんが
『全員20位以内に入らんかったらペナルティ』いや、バレー部部員だけで30人以上居るんやけど(苦笑)
まあね、もう30年から前の話やからね。(自分で言うてビックリ!30年前かぁ・・・・・しみじみ)
うさぎ跳びも千本レシーブも愛の鉄拳制裁も大手を振ってまかり通ってた時代やから、そんなアホな矛盾も
当たり前みたいに受け止めてはったんですね~イヤホンマ文化部でつくづく良かったわ。

で、個々それぞれモチベーションとタイムに大きな幅はあれど、なんとか必死の思いで頂上まで行ったら
その場で現地解散!・・・・・て、なんじゃそりゃ。
運動部のコなんかはどうかしたら60分切るタイムでゴールしはるんですけどわたしら3時間ですからね。
もうほとんどみんな帰路についてるわけなんですよ。
お弁当も持たずに早朝から走りっぱなしやし、先生も早よ帰りたいんやろね。
ゴールして証明書にハンコもろたら即、『早よ、下りろ』と追いまくられるっていう。

いやさっきまで『早よ上れ』っつってたやん!

大昔どっかの国で目的もなくただ大きな穴を掘らせてある程度の深さになったら今度はそれを埋めさせる
っていう刑罰があったらしいけど、そん時の囚人の気持ちが分かるわ~~~

で、また4キロの登山道を下って3キロの道のりを歩いて釈迦堂まで戻ったらそのまま自宅まで徒歩30分。
家に着く頃には日も傾き空腹も限界、足はがくがく腰はへろへろ。この時だけは切実に転校したい!
思ってたそんな中学時代の思い出・・・・


閑話休題。

ま、そんなわけで中学卒業以来、足を向けたことのなかった嵯峨釈迦堂=清凉寺ですが、このたび
30年ぶりにお邪魔いたします(*^^*)
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のっけから大迫力の御門がのしかかってくるように建てられています!こちらは仁王門
江戸時代に建立され1776年に再建。楼上には十六羅漢が祀られており、府の重要文化財に指定されています。
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『五臺山』の扁額は、宋より帰国した奝然上人(ちょうねんしょうにん)が近くの愛宕山を宋の五台山になぞらえ
ここに大寺院を建立しようとしたことに由来するそうです。

門の両脇には赤ら顔の金剛力士が睨みを利かせていました。
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こちらは室町時代の作品だそうです。
また木鼻もなかなかの見応え!境内の外側と内側で造詣が違っているのも面白く感じます☆
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境内側は獏(写真左)、門外側は獅子(写真右)。どちらも無彩色ながら生き生きとした彫り跡が素晴らしい!

清凉寺(嵯峨釈迦堂)・・・浄土宗の寺院。山号を五台山と称します。
中世以来「融通念仏の道場」としても知られており、ご本尊は釈迦如来。本堂に安置する国宝の
三国伝来の木造釈迦如来立像が有名であったことから嵯峨釈迦堂の名で親しまれています。
元々は嵯峨天皇の皇子である左大臣源融の別荘があった場所だったそうな。
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浄土宗の開祖 法然上人像。

仁王門からまっすぐ正面に建つのが本堂(釈迦堂)です。
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間口7間におよぶ入母屋造の堂々たる伽藍で、一度は嵯峨の大火で焼け落ちたものの徳川綱吉公の母、
桂昌院の寄進により1701年に再建されました。
ご本尊である木造釈迦如来立像はこちらに安置されています。
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瑠璃色が目にも鮮やかな『梅檀瑞像』の扁額。
黄檗宗開祖、隠元(インゲン豆の語源になった御坊)の手蹟によるものだと伝えられています。

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非常に大らかなイメージの禅宗伽藍ですが、その細部は繊細で鬼瓦や降り鬼にも生き生きとした表情が見えます。
蟇股には龍、木鼻は象があしらわれていました。

広々とした境内には、清凉寺竹仙という湯豆腐で有名な京料理のお店もあります。
前庭に植えられたたくさんの梅の木はまだまだ蕾が固い様子でしたが、ほんのちょっとだけ可憐な白梅が
花開いていました(*^^*)
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いや~それにしても何がビックリってこれほど存在感のある仁王門も本堂も
全く覚えてない自分に一番ビックリ!
どうやらわたくしの中でずっと強制消去されていたようです嵯峨釈迦堂(笑)
今回の探訪を機に、この記憶を良い感じに上書き保存していきたいものです。

清凉寺の記憶の塗り替え作業は明日も続きますwww

よりみち紀行~嵯峨路をゆく その1

こんばんは(*^^*)なんやかやでご無沙汰でございます。
めっちゃ忙しくしてました!とか体調崩して寝込んでました!とかじゃなく
ただただなんとなくぼーっとしてた・・・みたいな?(^^;
最近なにかと気力が下がりがちですが、せめてブログではテンション上げて
今日もはっちゃけていきたいと思います(笑)

水曜日は仕事がお休みだったので、行きつけのパン屋さんに朝の食パンを買いに行きました。
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外に出てみると久しぶりに陽が差していいお天気(*^^*)

せっかくなのでカメラも持ち出してちょっと近くの神社に寄り道して行ってみよう!

まずは、パン屋さんに行くたびに一度拝観してみたいな~と思っていたこちらのお社から♪
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福王寺神社・・・宇多天皇の母である班子皇后をお祀りし、宇多天皇が仁和寺を開いたことから
       仁和寺の鎮守神とされています。『福王寺』の名は、班子皇后が多くの皇子皇女に
       恵まれたことに由来しており、地元では“ふこっさん”の通称で親しまれています。

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すっくと立つ雄々しい狛さんに両脇を固められているのが石造りの明神鳥居。徳川時代初期に造られたもので
拝殿、本殿、二基の石灯籠などとともに国の重要文化財に指定されています。

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入母屋造、銅板葺の拝殿です。重文指定にふさわしくシンプルながらどっしりとした落ち着きがありますね。

祭神である班子皇后は非常に気さくな人柄の方であり、気軽に散策など出かけられて近隣の民からも
とても慕われていたそうです。一説ではここ福王寺の地は班子皇后の陵墓があったとも伝えられており
古くより東紙屋川、西広沢大沢池畔、嵯峨野、南三条あたりまでの産土神として厚く崇拝されています。
また多くの皇子皇女に恵まれたことから、『子宝安産』『夫婦和合』のご利益があるのだとか。

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こちらは本殿。一間社の春日造の建物は一度、応仁の乱の際に他の伽藍や御室仁和寺とともに
焼け落ちてしまいましたが、その後徳川第3代将軍家光の寄進により再建しました。
奥にある神殿の屋根は非常に珍しい木賊(とくさ)葺き。これは水に強いさわらの木を使って葺いたもの。
2000年に開催された1100年祭の前に行われた修理により360年前と同じ工法で甦ったのだとか。
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仁和寺の守護神であり皇族とも深い縁をもつことから社紋には皇室と同じ十六紋菊が使われています。
絵馬は渋い墨絵の宝船。子宝祈願や安産祈願の絵馬の他に、たぶん地元の園児か小学生と思うのですが
幼い手蹟で『勉強ができますように』や『サッカーがうまくなりますように』などと書かれたものも多くあって
とても微笑ましかったです(*^^*) 

大人の祈願は・・・やっぱお酒ですね(笑)

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本殿の隣にあるのが夫荒神社。平安朝時代の頃に毎夏、洛北の氷室より御所宮中へ氷を献上する習わしが
あったのですが、氷を運ぶ役夫が道を急ぐあまりに、この地で疲労の為も力尽きて息絶えたことから
その御霊をお祀りし、行き交う人々の安全を祈願しているのだそうです。
狛さんも小振りながらきりりとした表情でいかにも頼りになる感じ(*^^*)

福王寺神社の近くには京福電鉄という京都市内を走る路面(一部)電車の線路が通ってます。
市民の足としてはもちろん、市西部のおもだった社寺の近くを通るので観光客の方にも貴重な移動手段として
重宝されているんです☆
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周囲の木はすべて桜!春には絶好のお花見スポットになりそうですね(≧▽≦)

このまま家に帰るにはもったいないお天気だったので、もうちょっとだけ。。。

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広沢池は京都市の西、嵯峨の地に広がる周囲1.3kmほどの池で、日本三沢の一つにも数えられています。
989年に遍照寺の建立にあわせ庭池として本堂の南に造営されたともいわれ『遍照寺池』の別名も。
また、嵯峨野一帯を開墾した渡来系豪族の秦氏の手によって溜池として造られたとの異説もあるそうです。

夏には五山の送り火に合わせて灯籠流しが催され、それはそれは幻想的な風景をご覧になれます💛
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(2013年8月16日撮影)

さて、先ほどの写真をもう一度よく見てみてくださいませ。
何かおかしなことにお気づきになりませんでしょうか?


そうなんです!実は池にほとんど水がない状態なんです!!
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これは決して枯れてしまったわけではなく、鯉揚げといわれる水抜きの作業がなされた後なんです。

広沢池では毎春ごろに鯉や鮒などの稚魚を1万匹を放流します。そして12月になると大きく成長した魚を
池の水を抜いて採り、地元の人や料亭に安く販売します。
池には『栓』があり、これを開放することで水を抜くのですが、いっぺんにすべて抜き切ってしまうのではなく
ところどころ水溜まりが残るようにして魚を生かしておき、およそ10日ほどかけて売り切るのだとか。
アオコの大量発生を防ぐなど水質改善の効果もある、この鯉揚げの作業は毎冬の風物詩として
地元の人のみならず観光客の方からも親しまれています(^^)

少し曇ってきましたが、まだもうちょっと散策してみたい気がするなぁ。。。

とまあ、こんな感じでどんどん西へと進んでいくっていうね(笑)
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次回はどどーんと大迫力の楼門を有する古刹を巡ります(^m^)
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