スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

孤高のランナー

今日はあるお芝居を観に行ってきました。
kako-gBANTvkIG729iU5x.png
剣崎あさむによるひとり芝居『風知り草~円谷幸吉の雑走』 

このお芝居の演者である剣崎氏、実はボス夫さんの幼稚園時代からの親友なんです!
十代の頃からずっと芝居の道を一筋に歩まれて現在もプロアクターとして日々活動なさっています。

『風知り草』は、東京オリンピック男子マラソン競技で銅メダルを獲得したのちに
悲劇的な最期を迎えた非業のランナー円谷幸吉を主人公にしたひとり芝居なのですが
開演から終演までのおよそ1時間強を延々と走り続けながらお芝居をするという、まさにマラソンさながらの
過酷な作品なのです。初演は1997年。当時、気鋭に満ちた30歳の剣崎氏はこのお芝居のために
厳しいトレーニングで『走る』身体を作り上げて挑まれたと聞いています。

初演の折にはまだ娘が小さかったために、わたくしは拝見できずとても残念な思いをしたので
今回17年ぶりに再演されるというご案内をいただいてからずっと楽しみにしていたんです(*^^*)

円谷幸吉は1940年(昭和15年)生まれ・・・ご存命であればわたくしの父と同じ年齢です。
陸上自衛官であった彼は陸上競技においてその実績が認められ、1962年(昭和39年)に開かれた
東京オリンピックの1万m走とマラソン競技に出場します。
経験も浅く無名であった幸吉でしたが、トップのアベベ・ビキラ(エチオピア)に次ぐ2位の位置で
ゴールである国立競技場に姿を現すという大健闘を見せます。

しかし満員の観客が総立ちで応援する中、ゴール目前にしてイギリスのヒートリー選手に追い抜かれ
惜しくも3位、銅メダルという結果に終わりました。これは東京五輪で日本が陸上競技において獲得した
唯一のメダルであり、国立競技場に日の丸が掲揚された唯一の選手という大快挙だったのですが
非常に真面目で責任感の強かった幸吉や厳格であった彼の父にとっては大変な惜敗であったのです。

次回メキシコオリンピックに向けて当然のように課せられた過度の期待は、幸吉に重圧となってのしかかり
婚約者との破談や信頼していたコーチの転勤などの不運がいっそう彼を苦しめることとなります。
持病の腰痛はオーバーワークと過度のストレスから椎間板ヘルニアへと悪化、アキレス腱も手術するなど
すでにまともに走れる身体ではなかったにもかかわらず、引退を口にすることすら許されませんでした。

心身ともに追い詰められていった幸吉は、1968年(昭和43年)いよいよメキシコオリンピックという年明け
ついに、自らその人生に幕を下ろしてしまうのです。

 父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。
 敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。
 勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。
 巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。
 喜久造兄姉上様 ブドウ液 養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。
 幸造兄姉上様 往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味しうございました。
 正男兄姉上様お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。
 幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、
 ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、
 正嗣君、立派な人になってください。
 父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒 お許し下さい。
 気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
 幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。

                                                  (幸吉の遺書 原文ママ)


かの文豪、川端康成は幸吉の遺書を『美しく、まことで、かなしいひびきだ』と評し、三島由紀夫は自著の中で
『円谷選手は“青空と雲”だけに属してゐるのである』と述べています。
お正月に郷里である福島県で両親や6人の兄夫婦と甥姪たちとともに過ごした幸吉・・・
彼の心中はいかなるものだったのでしょうか。

お芝居の舞台は昭和39年の国立競技場。
東京オリンピック男子マラソン競技スタートの号砲が鳴り響くところから始まります。
延々と走り続けながらその胸中に浮かぶさまざまな思い・・・緊張とプレッシャーに苦しみ、あるいは
体育学校時代のことを思い出して自らを鼓舞し、あるいは世界に名だたる選手と自分を引き比べて
卑下してみたり、またあるいは婚約者との未来に希望を見出したり・・・

千々に揺れる心の機微に呼応するように彼の走りも、時には止まってしまいそうなほど萎縮し、
また奮い立つように力強く。追い立てられるような焦燥感や開き直ったことで得られる爽快感までもが
延々と走り続けるその足取りによって表現されていきます。

ゴールを切ったほんのひと時、足を止めて天を仰ぎ見た幸吉はまた再び走り始めます。
期待は重圧へ意欲は焦りへと変化し満身創痍の身体を引きずるように走り続けながら
次第に彼は走る意味を、生きる意味を見失っていき
『幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。』
というセリフとともにその足がとうとう止まってしまうのです・・・・・


1時間以上の舞台をたった一人で休むことなくひた走る。オリンピック競技を走るマラソン選手として
違和感のない姿勢でしかも腰椎カリエスを抱え右足をわずかに外へ開いたという幸吉の独特のフォームで。
また、実際にはずっとその場で足踏みしてらっしゃるのですから普通に走る何倍も辛いはず。
そして走りながら長い長いセリフを語り続け、歩幅や手足の動き、表情、呼吸をも微細に変化させて
その感情の揺れを表現する・・・・・

こちらまで息が上がりそうな大変なお芝居でしたが、齢47歳にして最後まで見事に演じきられました!
その姿はひたすらに真面目で几帳面な幸吉の葛藤と苦悩にそのまま通じるものがあり
(むろん剣崎氏ご本人は素晴らしいご家族とご友人方に恵まれたとても精力的な方でいらっしゃいます)
一つの道をがむしゃらに走り続けるということがどれほどに孤高であることかと、胸が熱くなりました。

彼のような素晴らしい役者さんが夫の知己であるということをとても誇らしく思います。
心に残るお芝居を拝見させていただき、ありがとうございました。
これからもいっそうのご活躍を期待しています(*^^*)
スポンサーサイト

コメント

No title

円谷幸吉さんほど真摯で実直な方はいない
東京オリンピックのマラソンは白黒テレビの生中継で見ました
あの独特のフォームと一見穏やかな表情が今でも蘇ってきます

後日、遺書を目にしたときの衝撃もよく覚えています
こんなにひた向きで純粋な生き方があったんだと

久々に当時の感情が蘇ってきました
ありがとうございました。

2014/10/05 (Sun) 15:51 | 植本多寿美 #- | URL | 編集
植本多寿美さま

実直で純粋であるということが時に生き難くあるということが
円谷氏の半生を知るたびに、悔しく哀しくてなりません。
彼はレースの途中であっても自分の飲んだ紙コップを
わざわざゴミを屑籠に捨てに行くような方であったそうですね。
あれほど不遇であったにもかかわらず、家族がお正月に用意してくれた
御馳走にひとつひとつ感謝を繰り返し、両親に向けても
泣き言ひとつ残すことなくただ謝罪されていた遺書は
目にするたびに胸が詰まります。

お芝居の中で走り続ける幸吉は、真面目で素朴で律儀でありながら
生き生きとした血の通った人間味豊かなキャラクターとして描かれていました。
実際に1時間以上の舞台ほとんどを走り抜かれた剣崎氏の息遣いは
きっとあの昭和39年の大きな舞台をただひたむきに駆けていた
円谷氏の息遣いそのものなのだと深く感銘する作品でした。

2014/10/05 (Sun) 17:26 | あすも #- | URL | 編集
最も時間のかかったマラソンの話

最近知ったマラソンの話にこんなのがあります。

金栗四三(かなぐりしそう)は、1912年のストックホルムオリンピックで優勝を期待されていましたが、本番では日射病で意識を失って倒れ、近くの農家で介抱され気が付いたのは翌日だったそうです。オリンピック委員会は、本人の棄権の意思表示が無かったので行方不明として処理したそうです。
当時日本からストックホルムまで行くには船と汽車で20日もかかり、睡眠障害や食事の問題さらに当日は40度の高温で、マラソン参加者の半数が棄権した程の過酷なレースだったそうです。
55年後の1967年、当時の事情を知ったストックホルムオリンピック委員会が開催55周年の記念式典に金栗を招待したそうです。そして金栗は競技場を走りゴールテープを切ったそうです。その時に「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します」とアナウンスされたそうです。金栗は「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」と答えたそうです。何とも心温まるお話です。グリコのマークはこの金栗四三をモデルにしているそうです。(wikipediaより)

古き良き時代のお話ですね。オリンピックの円谷選手もテレビ観ていました。どちらも涙無しには聞けないお話です。

2014/10/06 (Mon) 11:31 | 忠 #- | URL | 編集
そんな悲劇が・・・

こんにちは。

円谷選手のことは、東京五輪の英雄という一面しか知りませんでしたが
英雄になったが故の悲劇があったとは・・・
戦後すぐならまだしも、戦後復興を果たし世界のトップに近づいた日本
私達が生まれる、ほんの少し前の余りにも悲しい最期にショックを受けました
栄光を手に入れ、怪我による苦しみも経験された円谷選手
きっと素晴らしい指導者になられたでしょうね〜、残念です。

お芝居の内容をお聞きするだけで、息苦しくなるような・・・
この様な難しいお題に取り組まれる剣崎様も
きっと円谷選手と似たお心をお持ちの方なのでしょうね

才能のある方が存分に力を発揮できる事を願って・・・
アップして頂きありがとうございました。

2014/10/06 (Mon) 11:47 | 花大黒店主 #- | URL | 編集
忠さま

おお!日本陸上界にはそのようなエピソードもあったんですね(@0@)
行方不明で処理っていうのも、よく考えたらスゴイなww
今では考えられませんがそういうところも時代だったんでしょうか。
金栗氏も55年間ずっと心残りでいらしたことでしょうが、ようやくゴールテープを
切ることができた時の感慨を思うとこちらまで胸が熱くなります。

偶然ですが、お芝居の中で『グリコ』に関するくだりがありました。
 一粒で300M走れるとしたら、42.195kmを走りきるには一体いくつのグリコを
 食べればいいのか・・・苦しい息の下で計算したところおよそ140粒。
 ひと箱に10粒、14箱ならば食べられそうな気がする、と一時は勇気が湧く幸吉ですが
 よく考えると1分間に一粒ずつ食べ続けなくてはならないことに気がついて
 『ダメです。グリコはよしにします。』
 とつぶやくというものでした。シビアな情景が続く中でちょっと微笑ましいシーンです(^^)

2014/10/06 (Mon) 16:28 | あすも #- | URL | 編集
花大黒 ご店主さま

こんにちは(^^)

純粋でひたむきな生き方というのは時に自らを苦しめるものなのですね。
円谷氏のことは学生時代にたまたま手にした書物で知ったのですが
スポーツの世界ではまだまだ精神論重視だった頃のことで、少なからず
衝撃を受けたことを覚えています。
とても几帳面で生真面目だったという円谷氏・・・現在、若いアスリートが
まずは『自分のため』にのびのびと活躍されている姿を、もしかしたら
少し羨ましく眺めてらっしゃるのかもしれませんね。

47歳にして1時間以上の舞台を走り抜かれたその体力と気力には
ただただ頭が下がるばかりでした!
このお芝居はご自身のライフワークとして大切にしてこられた作品なんです。
再演のお話を伺った時には『体力的にももうこれが最後かもしれないから。』と
少し寂しそうにおっしゃっていたのですが、決して円熟に落ち着かない
アグレッシブな舞台でした!

2014/10/06 (Mon) 16:39 | あすも #- | URL | 編集
拍手コメをいただいたKさま

わたくし自身は全然花粉症と無縁なので
(一時はいよいよか?って時期もあったのですが違ったみたい笑)
娘のしんどさはなかなか分かってやれないのですが、症状が出る前に
薬を飲んだ方がいいんですね~。来シーズンはぜひ早めに手を打つよう
彼女に伝えておきます!そして耳鼻科には事前に電話をしてから行きます(笑)

もうすぐスノボの季節ですね!!今年は暖冬で雪が少ないという話も聞きましたが
存分に楽しめますように。。。(*^^*)
冬スポ、確か去年も彼氏クンと行ってたような・・・今年のを検索してみたら
関西地区だけ日程調整中でしたガビーンwww!

2014/10/06 (Mon) 16:47 | あすも #- | URL | 編集
偶然ではないと思います

グリコの話は、きっと偶然ではないでしょうね。マラソンをする人には伝説だったと思います。剣崎さんも当然知っていたはずです。
演劇も映画も小説も、そういう歴史の上に構想されているのだと思います。ボス夫さんも、良い友人をお持ちです。またそういう夫を持ったあすもさんも何がしかの歴史を共有しているのだと思います。

今日は台風で仕事は休み、お昼からお酒を飲んで、午後は絵を描いて、夕ご飯の後にはお風呂に入り、お風呂でビールを飲んで、その後ウイスキーの竹鶴を飲んでいます。

良い一日でした!笑)

2014/10/06 (Mon) 19:45 | 忠 #- | URL | 編集
忠さま

なるほど!歴史が創作にいろいろな形でリンクしているということですね。
確かにセリフの端々から実際の円谷氏の誠実さ、生真面目さ、朴訥さがにじみ出るような
非常に緻密なシナリオでした。作家さんから演者さん、ボス夫さん、そしてわたくしと
貴重なご縁によって結ばれ、そしてそのご縁はブログという一つのアイテムによって
忠さまをはじめたくさんの方々に広く繋がって歴史を共有していくのだと思うと
とても不思議で有り難い気持ちになります。

台風がもたらした思いがけぬ息抜き、といったところでしょうか(^^)
日の高いうちからご酒を楽しまれたなんて、なんとウラヤマシイ!(笑)

2014/10/06 (Mon) 22:22 | あすも #- | URL | 編集

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。